花押とは

 


文書の末尾などに書き込み自書(印、サイン)の証とし 姓名の一部、
又は特定の文字を 草書体にくずしたり、図案化して書いたものが花の形を
表していることから 花押と呼ばれています。

花押は華押・押字・書き判・判形・判・花書・花字・押名とも呼ばれていました。。

花押は公家・武将・僧侶等に多く使用され、
身分・地位・そして野望・夢を表していました。
自己表現として署名に使われ歴史を作ってきた
陰の立役者であり、ました。

人の一生を現してきた 漢字文化の持つ日本人が考え出した


格調高い自己啓発ツールです。


三国志の中の諸葛孔明が亡くなったことを悟らせないように軍を引き上げ、
あの司馬仲達をして「 死せる孔明、生ける仲 達を走らす 」の故事にあるように
武田信玄もまた病に倒れた時、士気を失わないよう手紙に花押を
数百も書きしるし、信玄の存在を花押に託しました。


花押」の発生は、中国の唐(8世紀頃)の時代と考えられ、日本で「花押」が使用されるように
なったのは、 平安時代中期(933年の坂上経行の花押が初見)と言われています。

それまでは、文書に「自らの名 」を 自署していただけでしたが、署名者本人を他者と区別
するために、 その人の好きな文字や名前の一部を 草書体に崩したり、図案化したものを
自署するようになりました。

その形が花の形にみえることから「花押」と呼ばれるようになりました。

「花押」は、貴族社会から誕生しました。

鎌倉時代(中世)以降は、武士の文書発給が急増したことで、武士が「花押」を使うようになりました。
戦国時代には、さらに自由な発想が生まれ、動物の形などを図案化した「花押」が多数登場し、
必ずしも実名を元に「花押」が作られなくなりました。

また、「花押」の模倣を防ぐために、複数の「花押」を用途によって使い分けるといったこともされる
ようになりました。織田信長は、生涯に10回も「花押」を変えたと言われています。

江戸時代には、「花押」を版刻したものを墨で押印する花押型(かおうがた)が普及し、
「花押」が印章と同じように使用されるようになりました。印章の利用が普及したことで、
「花押」が使われる機会(実際に書く)が減っていきました。


.2009年9月  望月鶴川 記