畑 神左ホームページ


● 今日からあなたも街角名人目指しましょう

 5 章 : 極みの3大法則 

花押創作(1)

 

【伝える心・技・体

花押を一点の創作までに
500枚一束のコピー用紙を両面すべて使い切りました。
片面5回として5000回位は書いた事になります。

とても気に入られ、その後、
追加、追加と注文がありました。

通常でも200〜300枚両面は使います。
時間と労力は素直です。

技術や才能は何の足しにもなりません。
伝えるものは見た人にしかわからないです。

私の場合花押を創作までにはいろいろなステップを踏みます。

単純に名前から創作すれば良いというわけにはいきません。
文字を調べたり生年月日から調べたり様々な手順を踏みます。

微妙な曲線、直線、力の入れ具合、これで良い時まってからも
500〜1000回くらいは書きます。
数十枚練習して 単純に作ってこれでいいと思う程度では
伝わるものが何もありません。
張り子の花押と言えるでしょう。

見た瞬間に伝えるものが浮かび上がるのが理想です。
感動がなければなりません。

感動は技術ではなく想いから生まれます。


その醍醐味は労力と時間が作ります。
書でも花押でも同じです。
花押は感動を与えるものでなければなりません。

技術はその上に成り立つものです。
伝統とはそういうものであるべきです。

2013/06/30  鶴川記

 

 
 




 4 章 : 極みの3大法則 

 2 : 3つの法則 (その3:自然に添う

 

【自然に添う】

〜 想い・思い 〜

8月初旬、熱い中、以前 鶴川流花押考No164アメリカンチャイナペインティング
でご紹介した「田中より子」様より送っていただきました。



とても素晴らしいポットセットです。
ポットからトレーに至るまで全てに花押が入っています。
トップページのフラッシュにも使わせていただき、お店の
ショーウインドウに飾らせていただきました。

なぜ名人の欄に取り上げたか、
このセットから受ける想いには物語が感じられます。
このセットから受ける思いには過去が詰まっています。

これらは田中さんの人間性がそのまま作品に変身して
現れているのだと思います。

それは自信であり不安であり、希望であり夢であり、
未来であり過去であり、
千字文にある「宇宙黄荒」そのものです。

極めていくことは過程がどういう過程を経るか、
その過程を情熱を持って生きたか、このセットには
それを感じました。

ずっと感謝の気持ちで大切に眺め続けます。

2012/09/08  鶴川記

 

 
 


 4 章 : 極みの3大法則 

 2 : 3つの法則 (その2:単純明快

 

【単純明快】

〜 深く高く 〜

物事は単純明快が良い。
技術は極力少なく使うのがよい。
少なく使うために高度な技術を身につけ、
身につけたものは技術を越えてなくなるのが良い。

技術の溺れると本質を失う。
そういう事例を沢山見てきました。
名人と呼ばれる人はより高度な技術が奥に入り込んで
何も出てこない。

私はまだまだその技術さえ足りないばかりか
少ないので目下猛練習中です。

それも単純な初歩の技術を勉強中です。
高い技術を目指すために深く単純な事を繰り返しています。

単純にすればするほど一番大事な本質が見えてきます。
技術が高いと本質が隠れます。
本質が隠れると屋台骨が揺らぎます。

何の為の技術かわからなくなります。
技術は本質を磨く技術でなければなりません。

より単純に、より明快に!!!

2012/09/01  鶴川記

 

 
 

 4 章 : 極みの3大法則 

 2 : 3つの法則 (その:1経験する

 

【経験から本物が】

〜 本物を求めて 〜

フィギィアスケートNHK杯で浅田真央さんが2位になりました。
スランプが続きましたが、今までより何皮もむけたように
見違えるほど、表現が豊かになりましたね。

氷に足が吸い付き全体がしなやかになったように見えました。
大きなスランプは飛ぶ前の低い姿勢だったのですね。
これからが浅田選手の本格的な充実期になりそうです。

鈴木選手も長い辛抱の結果が出てきています。
あの華麗なスケートの中で出た汗と涙で
氷はできているのでしょう。

私も書の方で数年書いているものがあり
最近になって体で感じたもの、そのことがわかってきました。
技術的な事始めいろいろです。

何十年もやって今、その一部が見え始めてきました。
「コツがわかる」とか良く言うけど、「コツはない」という事がわかりました。

古典を見ても見る場所や感じ方が大きく変わりました。
何が本物か良く理解できるようになりました。

浅田選手と同じに高いハードルを超える事が出来そうです。
何十年もかかってしまいましたが、その価値は何十年分の
我慢に匹敵したものが得られそうです。

ハードルは高いほど価値があります。
辛抱はその長さと重さに比例した結果を与えてくれます。


本物を求めて今その一歩を踏み出すことが出来ました。

2011/11/12  鶴川記

 

 
 

 4 章 : 極みの3大法則 

 1 : 3つの法則

 

【極めるために3大法則】


1: 経験する。

2: 単純明快

3: 自然に添う。
 

50年を超え書に携わり、書だけではなく篆刻ほか文字に関する事を
職業とし、沢山の文字を見、書き、
教わったり、教えたり、その中で一貫して貫き通した事が
あります。


しかし私の中では数十年これ以上の事はありませんでした。

仕事、書、料理、スポーツ、文学他いろいろな分野の方とお話を
したり、実際に見たりして思うところです。


全て今までの経験から学んだ事です。


上記3つの法則を超えるものはありませんでした。
詳細については いずれ講座などでもお話ししていこうと思います。

又、このコーナーをお読みいただいている方からの要望や、
機会があれば書く事があるかもしれません。


極みの3大法則としましたが、
私の生き方の3大法則ともいえます。


2011/09/22  鶴川記

 

 
 

 3 章 : 書くということ 

 2 : プロの目・手

 

【超える】 


〜 当たり前の基準 〜


親しくしてる日蓮の花押研究家は見なくても数十種類の花押を
さらさらと書きます。

二人で勉強する時は、あの花押。、この花押とお互いに
書いて研究し合います。

知人の仮名の先生はある古典を数十頁を見なくても
臨書してしまいます。

プロの基準なんだと思います。
書ける事が素晴らしいのではなく、書けるほど勉強している、
思い入れががある、時間を使っている。
 
こういう方とお話をすると内容が違います。
自分の中に書があり、花押があるので話がつきません。

上手に書くことが大切なのではなく
(書家であれば上手に書いて当たり前なので)
どれだけ勉強してるか、身に付けているかが大切です。

先日もある方と王 羲之の蘭亭叙について話し合いました。
やはり書の指導者で、よくぞここまで勉強をしたと思います。
これが書家なのでしょう。

別な書家2名は自分で辞書を何年もかけて書き続けています。
その字は見事で、それ以上にその労力・気力はすさまじいものです。

花押研究家の方始めこういう方と話す事が出来るのは
幸せなことです。
私の目指すプロの道はここにあります。
プロの話が出来る方々です。

    2011/08/08  鶴川記

 

 
 

 3 章 : 書くということ 

 1 : 道を究めるために

 

   【原点に光があった】 


〜 開花する書を見つける 〜


花押の研究と書

花押・古文書・書と学ぶうちに、目の前に大きな光明が見え始めてきました。
それはしっかり形となって今後の方向を形づけるものになりました。

書の今までの経験が新しい未来を生むことになるはずです。
私にとってこれからの何十年間をそれに費やすだけの
価値があるものが見えてきました。ずっと価値の見えないまま試行錯誤でやってきたものが
今、全てが一気に開いたようです。

全てが開き、新しい道が開き、次の高嶺が見え
今までと違った
勉強をすることになります。

一段も二段も上を目指したものが見え、
まるでドラゴンボールのようにたどりつき始めると
さらに上が見えてきて今まで根気よく50年も続けて良かったなぁ
と実感しています。

10年で身につくこと、20年で身につくこと
30年でみにつくこと。

これから30年かけて身につけようと思っています。
そしてそれを形にしていこうと誓いました。
 

    2011/06/22  鶴川記

 

 
 

 2 章 :  花押は未来を歩く

 3 :お稽古 ・・・(7) 上を目指す

 

  〜 超えた時に知る 〜
 
   【楽しみ】 

 平櫛田中研究会で美術館を見に行き、100歳で30年分の材料を購入という
 事実から勉強というのはやればやるほど難しと楽しさがわかるものだと
  実感しました。

  先日10日間で25,000文字を書き、自分ではある面での上達を期待していましたが
  反対にその奥深さ難しさを知ったのみで終わってしまいました。

  私が教わってきた師の偉大さを感じ、恩を感じ、恵まれたことに感謝しています。
  20歳ころ学んだ師匠のお孫さんに教える時があります。師から見て
  3代、「師弟は三世」という死語の様な言葉は私の中では生き続け
  現実として今、それが行われています。

  恩返しが出来た喜びがあります。
 同時に責任も感じますます勉強しなければと思います。
 
  25000文字を書いた事で新しい一歩が生まれ進み始めました。
  目指す名人の道はより難しさと面白みを知ることにありそうです。 
 

    2011/06/06  鶴川記

 

 
 

 2 章 :  花押は未来を歩く

 3 :お稽古 ・・・(6) 一番当たり前の事

 

  〜 一番当たり前の事 〜
 
   【同じ繰り返し】 

 あまり片付けが上手なほうではないですが、いつも 「あった場所に片づける」をいつも心がけています。
  一番簡単で早いからです。
  あたりまえのことだと思っていましたが、それがどうやら当たり前ではないらしい。

 先日新聞に、片づけ上手は「あった場所に戻す」という事が出ていました。
  「思わず、えっ!!!」 ・・・ どんな秘訣があるんだろうと思っていたのに
  なぁんだ! いつもやってる事で当たり前のことじゃないか・・・

 同時通訳の神様と言われた「国弘正雄」は簡単な一つの文章の
  音読を500〜1000回繰り返すのが最大の勉強法と言っています。

 どれも当たり前のことの繰り返しです。 

 脳科学者でなないので詳しくはわかりませんが、繰り返すことは
  動物の習性・本能で繰り返すことにより、体が受け入れることを認識
 するのだと思います。

  修行時代、簡単な印鑑をこれでもかこれでもかと繰り返し彫刻していました。
  ひたすら同じことの繰り返し、そのうちに彫刻だけでなく書いてある字も覚え
  字形に対する感覚も養われ、いつの間にか逆さに見ても普通に見えるようになり
  普通に書いても逆さに文字を書いても同じように書くことが出来るようになっていました。
 
  何年もやっていなくても、いつでもでも逆さに筆で同じように書けます。
  練習とはそこまでやって練習なんだと思います。


  書道の勉強もそうでした、毎月の課題は数百枚は書きました。
 うまく書くとか考えずにたくさん練習しました。これで良いと思っても練習しました。
 古典は見なくてもほぼ同じように書けます。ほとんどの字は頭に入っています。

 それでも今、同じことの繰り返しをしています。
  数十枚書いてうまく書けないと聞かれると、聞く前に練習してほしいなぁと思います。

 パソコンは詳細に数百万分の一を明確に覚えますが、
  人の脳は 数百万分の一を平行に何万と覚えます。人の脳はパソコンの比ではありません。 

 1<>1 が脳の知能を使った覚え方なら
  1><1 が脳の体を使った覚え方です。

 この差は歴然としています。もっとわかりやすく解説すると

  脳の知を使った覚え方は
  細い枝は伸びては行くけど、どこまで行っても細いまま。
  脳の体を使った覚え方は
  細い枝が100回繰り返しで少し太くなり、1000回の繰り返しで太い幹になり
  10000万回の繰り返しで大木になります。


 今は脳を使うことがはやされています。良いことだとは思っていますが
  もっと、その核心に触れるべきだと思っています。

 花押も同じですね、同じ花押を1000回書いてみると、花押の本質に少し触れて
  花押らしくなるものですね。
  1000回書くまではウォーミングアップのようなものです。
  良い悪いの判断する以前の問題です。
 なんでも噛み砕くことが大切です。

    2011/04/04  鶴川記

 

 
 


 2 章 :  花押は未来を歩く

 3 :お稽古 ・・・(5) カズ(三浦知良)の鎮魂歌ゴール

 


 【東日本大震災、サッカー親善試合】 

 後半最後にカズ(三浦知良)がゴールに、
 思わず 精いっぱいの拍手をしてしまいました。

  TVを見ていて後半カズがでて、家族とみている時、私は
  「この場面はイチローが世界野球で決勝打を売った場面に似ている。
  カズがゴールするのに最高のシュチエーションなんだけどなぁ! 」

  そう言ったすぐ数分後に数のゴールが!!!!

 カズにとってサッカー人生の集約に時が味方をしたように思います。

  【意思あるものには時が味方をする】

 イチローの時と全く同じだと思います。
  カズの長いサッカー人生が日本に根付かせた彼の功績を神が
  たたえたのだと思います。

  最後まで現役、仲間が引退していく中でただ一人のkり若い人に交じって
  現役を貫く、栄光の日々を捨ててまで、いやカズにとっては栄光の日々は
  もっと先に目指しているのかもしれない。

  サッカー一途な思いは名人と呼ぶのにふさわしいです。
  「人生は一生勉強だから」簡単に言える言葉ではない、
  真剣にに勉強をしてきたものだけが言える言葉です。

 ・・・前に早乙女氏が言っていましたが、その通りカズは今もって
  自分の子供くらいの年齢の人に交じって練習を続けている。

  その前向きな行動力と謙虚さに拍手を送れずには居られません。

   これからも頑張れ!カズ  
   震災災害にあった人たち、犠牲になった人たちへの
   カズ名人の鎮魂歌になったはずです。

    2011/03/29  鶴川記

 

 
 

 2 章 :  花押は未来を歩く

 3 :お稽古 ・・・(4) お稽古なくして語らず

 


 【テレパシー】 

  「千手千眼」は神が宿ると書きましたが
  それはどういう事かというと、想いが伝わるというのでしょうか。

  見えない力が働き、その想いが生きた力となって伝わっていくことでしょう。
  ピラミッドしかり、あの錐形は何十年もかけて尊い命を捧げて
  作られたもの。

  お稽古による技術の進歩は些細な事で、そのお稽古自体の価値は
  計り知れないものがあります。
  「奇跡」もお稽古があってこそ生まれるものです。

 「お稽古なくして語らず」


 
一番 単純で簡単で、そして一番難しく複雑なもの。
  私も時間があるかぎりお稽古に励み続けていきたい。
  お稽古を楽しみ続けていきたい。

  きっとそこには想像もしない世界が私を迎え入れてくれるものと
  思っています。
   お稽古を続けた者だけが知ることに出来る世界が待っているはずです。


    2011/03/07  鶴川記

 

 
 

 2 章 :  花押は未来を歩く

 3 :お稽古 ・・・(3 千の上に神が宿る

 


 【千手観音菩薩】 

  「千手千眼」といわれるようにすべての人を救済するには千の手が必要とされ
  すべてを見るのには千の目が必要とされています。

  千の鍛錬とも言います。
  花押一つでも胸を張れる花押を作るには一つの花押を千回
  一つの線を千回書かなければ良いものは出来ません。
 形だけの花押、そこには生命の息吹はありません。

  普段のお稽古がどれほど大切か、それが出来て
 初めてプロの道へ進むと言っても良いでしょう。

  私の書の知人が20年くらい勉強して、審査員近くまで上り詰めた人が
  日本で有数な先生に見ていただき、「この字がうまく書けないけど」と
  聞いた時、「一本の線を千回、それから一文字を千回練習してください、
  次に同じことを全部の文字をやってください」と言われました。

  お稽古の先にあるのは上達ではなく

  「千の上に神が宿る」 

  はじめは楽しみ、そしていつの日かプロを目指すようになったら
  お稽古をして欲しいと思います。

  千十観音でさえ千の手、千の目が必要です。
  まずは千回の練習、それで少し先が見えてきます。
  お稽古は神への道かもしれません。 


    2011/03/07  鶴川記

 

 
 


 2 章 :  花押は未来を歩く

 3 :お稽古 ・・・(2 無駄を生かす

 


 【無駄を生かす】 

 現在、ある方と新しい花押の研究を進めています。
  梵字の研究家で花押の研究、お稽古も私と同じことを
  試みています。

 初めて花押を一緒に書き、研究できる方とお会いしました。
  プロを目指すのであれば辞書がなくてもすらすら書けるようで
  なければとても生きた花押 は書けません。

  趣味だったらそれも許されるがその道を究めるつもりなら
  筆が生き物のように自然と花押を作り上げていくようでなければなりません。

 考えなければ出来ないようでは、まだまだプロとは言えないでしょう。

  その方は1〜2時間は花押を書き始めるとつづけて書き続け
  ています。体に沁み込んでいるのです。 

  先日、花押展でコラボする仏画家の方に文字を書いて送ったら
  1週間もしないうちに、見事な絵を書き入れて送られてきました。
  さっそく電話で今後の進め方の詳細を話し合いました。

  普段から相当な量の絵を描いてる証拠ですね。
  こういうお稽古を知ってる方とコラボ出来るのはとても嬉しいことです。
  なぜなら形だけでなく想いがつたわるからです。
 
  いつの日か、こういうお稽古が出来る人が現れたら私の持つ
 花押の知識を伝えていきたいと思っています。

  ●お稽古・・・それはひたすら努力を重ねること。
  出来る事、出来ない事も含めひたすら繰り返すこと。

  ● お稽古・・・出来るようになる為がお稽古ではなく
 出来るようになった事をひたすら繰り返すこと。
 
 ●お稽古 ・・・お稽古を楽しめるようになること。
  プロへの第一歩であり、プロとしての最終目標でもあります。


    2011/03/06  鶴川記

 

 
 


 2 章 :  花押は未来を歩く

 3 :お稽古・・・(1 お稽古とは

 


 【お稽古】 

 ちょっと古い言葉ですね。練習といった方がいいのでしょうか?

 今週企業家の方に花押を納品の時、社長さんが言っていました。

 最近はハウツーばかりでお稽古を知らないですよね。
  方法は1%で99%はお稽古なのに1%の方法だけで出来たと思ってる人が多い。
  お稽古を知らない人は「出来ないと言う」。

  世界を相手の最先端の企業の社長さんの言葉です。
 先端を行く人ほどお稽古を知っているようです。

  お稽古って何だろう?

  花押にあてはめると歴史の勉強、書の勉強、漢字学の勉強
  その社長さんとも花押の事から話が進み、孔子の事、歴史の事
  漢字の事、ほんとに詳しくご存知でした。
 お稽古が行き届いているのでしょう。

  以前花押を納めた大手電子部品会社の 社長さんは毎朝「写経」を書くという。
  情報処理会社の社長さんは古文書の勉強会を続けている。

  こういう方たちの納得いく花押は花押の形ではなく、その本質が
  重要視され、信頼されるだけの「お稽古」を積んでいなければなりません。

  【 お稽古をするのは信頼を積み重ねる事 】

 それは上手になるためだけでなく、それにかけた時間は「信頼」を意味します。
  色々な方にお会いする度にお稽古の重要性を再認識します。


    2011/01/23  鶴川記

 

 
 

 2 章 :  花押は未来を歩く
     2 :極める・・・(4) 「想像を超える」
 


 【奥の深さを知る】 


  花押を納めるときに必要なのは
 「想像を超える」


  これが大切なことです。今年になって納めた何件もの花押もお客様からは
  「想像を超えた花押で感謝しています」とご連絡を頂きました。

  想像は必ず期待で膨らむものです。

 それを超えるに為には想像を超えるような事を
  身に付けなければ想像内で終わり期待外れになります。
 
  以前ある方に花押を納めた時、その方の仕事に対する研究熱心さは
  奥の深さを思い知らされました。
  自分の利益や名誉の為でなく、お客様の為に仕事一筋に
 研究する。

 あぁこの方に作ってもらったら何も言う事がないほど
  それだけで嬉しく満足なものが出来るだろうなぁと感じました。
 想像を超えた知識と技術でした。
 
 お客さんもそれが分かる人が集まってきています。
 想像を超えるもの、それはやはり「気持ち」でした。  


    2011/01/16  鶴川記

 

 
 


 2 章 :  花押は未来を歩く
     2 :極める・・・(3) 「道は一つ」
 


 【知ること・知らない事】 


  何十年も継続して続けていると自然にわかる事があります。
  先日お会いした方は、人とお会いした時、其の方がどんな方か
  信用できる人か、上辺だけかほぼ分かると言っていました。

  私にはとても無理ですが
  書や花押では多少分かります。
  其の人が筆を持った時に、どの程度の字が書けるのか、
 筆に墨を付ける時、どのような字が書けるのか、
  そして書き始めた瞬間に、こういう字は書けるがこれは無理とか
  また書いた字を見れば、今までどのような勉強をしてきたか
  ほぼ90%以上の確率で分かり、あたります。

 また、綺麗に書けていても本来の実力は、、、それもほぼ分かります。

 不思議に長い間の蓄積は嘘をつかずに出てきます。


 学べば学ぶほど自分のことが良く見えてきて、
 今まで何をしてきたんだろうと思うほど、沢山の足りない部分がある事に気が付きます。

 今年になって般若心経・賢愚経・自愛経など平安初期の大聖武など
 写経を沢山書いています。昨年も書きましたが、昨年気が付かなかった事が
 今回、気が付き新たに新鮮な気持ちで書いています。

 花押も全く同じに、創作過程での起承転結、真言密教、梵字との関係など、
 書くときの線の流れ、抑揚、思い入れ、意義など全てが大きな円の中で
 絡まって結ばれたり、ほどけたり、大きな河の流れのようにうねっているのが 
 分かります。

 長い期間かけてそろえた
 貴重な資料を手元に眺めていると、見えなかった事が見えてくるような気がします。
 この資料を基に新しい花押の構想も頭の中で見え隠れしています。

 10年近く前に、あるお客様が「孤高の光を持つ花押、触れるのが怖い」と言っていました。
  今、それを触れてまとめる時期が来たように思います。

 昨年、ある方から
 「 そろそろ鶴川流花押を後世に残すために書ききっても
 良い時期に来たように思えます。いかがでしょうか?」
 といわれました。


 「時が私を迎え入れてくれたのかもしれません」
 
 学べば学ぶほど道は狭くなり、学べば学ぶほど孤高になるのを感じます。  


    2011/01/10  鶴川記

 

 
 


 2 章 :  花押は未来を歩く
     2 :極める・・・(2) 「手考心思」
 


 【極める為のただひとつの答】

 手考心思」 


  私は花押を創る時、一つの花押を創作するまでに100〜200は創作します。
  月に10作れば1000〜2000の花押を考えている計算になります。
  勿論、書くときも書きやすさを確認するために200回くらいは書きます。

  これと同じような事を、前記の方々はしていました。(花押ではありませんが)
  プロとして最低限の事だと自分では思っています。
 それがなければ到底、お金という代償、花押を使う方の人生を作ることはできません。
  それがお客様への最低限の礼儀でもあると思います。
 当然、文字につても十分な調べを行います。

  「花押は生きている」人の手を伝って書かれるもの。
 
  まずは花押を創れる価値を自分の中に持たなければならない。
  販売するものは花押でも実際には自分を売ること、お客様は自分を購入してくれている。
  その様に考えています。そうなら尚更普段から勉強して自分を高めなければなりません。
 
  今年はそういった面でも花押元年として今まで学んできた花押の集大成をまとめ
  さらに極めの道へ向かっての第一歩と考えています

  「意思ある者には時が味方をする」

    2011/01/03  鶴川記

 

 
 


 2 章 :  花押は未来を歩く
     2 :極める・・・(1)想いが通じる
 


 【極める為のただひとつの答】

  2010年大晦日夜遅くなってから柴又帝釈天に行きました。

 大晦日の除夜の鐘が始まる時から本堂で元旦の夕方までお仕事です。

 ここでご一緒した方々の書、まさに名人と呼ぶにふさわしい。
  過去にないほどの衝撃を受けました。
 
  その書は「極めた書」と言っていいくらい素晴しいものです。
  其の集団は誰もが極めた書を書きます。それでも数分の時間さえあれば練習する。
  過去にこれほどの書を書く人を見た事はありません。

  長い時間だったので途中、お話をする機会も多く私が1日2000文字を目標というと
  それが其の方たちには当たり前のことで意に介さない、その研ぎ澄まされた線、
  書き方は「名刀村征」のようで筆を見た時にそれが理解出来ました。

 <点一つでも気迫に満ちた情念があります。>
  書の世界にこれほどの人がいるのかと疑うくらいプロといえる技術でした。
  共通点も多く私の考える事を理解し、話も楽しく来年もご一緒にと
  今後一緒にやることになりました。

  窮すれば通じる、その通りで積み重ねてきたことが、出会いを産んでくれたんだと思います。
  生まれて初めて私のやってきた事を理解してくれる人が現れたようにも思えます。
 古典一つにしても見る力が違います。
  書の奥深さを身を以って体験してきた人たち、欲もなくひたすら練習に励む
  姿は感心するばかりです。

  帰りもご一緒し来年の再会を約束しましたが、その前にお会いできる機会が訪れる気がします。
  書を語るにふさわしい方々との出会いは元旦早々嬉しい事です。
 全く公の場に出ない人たちですが書のプロとはこういう人たちだと思いました。

  私のやってる事もごくごく普通の事で、その書き方、筆を見た時、墨の付け方
  筆の入れ方、何から何まで全てが衝撃でした。
 ただひとつ、その中で同じ練習を積み重ね、同等の仕事が出来、評価された事は救いです。
  しかしまだまだ練習が足りない事を実感しました。

  さらに驚きは其の方々は仕事を持ち、有名なラーメン屋の社長だったり、
  教師だったり、いつ練習する時間があるんだろうと思われる人ばかりです。

  「意思ある人に時は味方する」
 今年の年賀状に書いた言葉がそのままあてはまりました。

  花押も同じで月に2000位の花押を日常に創っていなければ到底満足な花押は
  私の体験からも出来ないはずです。
 またそれがプロとしての当然の事だと思います。
  「プロとして極める」 もっともっと極めたい!
 プロの奥深さと妙味を共有することが出来嬉しいの年初めでした。  

    2011/01/01  鶴川記

 

 
 

 2 章 :  花押は未来を歩く
     1 : 100年先に生きる
 


    〜 未来花押 〜

 全国各地からご注文をいただきます。
 
  札幌の大きな天ぷら屋さんは7年前に制作、
  お店の拡大に伴い信長のようにグレードアップした花押
  看板から箸置き、暖簾に至るまで使用されます。
  
  鹿児島市内の大きな病院の先生。

 宮大工の方は飛鳥時代から1400年続く系図
  大きな柱に名を入れ数百年後にも記録を残します。

  大切なところで花押は使われています。いつも10年後、100年後、数百年後を見ての創作。

  一緒に歴史を刻んでいくと思うと心が引き締まります。
  人物を研究するときは手紙を調べるという。 手紙がなければ花押を調べるという。

  手のぬくもりは人のぬくもり、 心のぬくもり。 花押は50年先、100年先のその方の
  歴史を表しています。 縮図といえましょう。

  あるお客様は「解説を読んで自分の人生を考えてみた。」と言ってくださいました。
  またある方は直接お会いして説明をしたところ、生き方が自分の考えていることと
  全く同じと共感され、感激していました。

 花押はデザインではなくやはり「心」なのです。私とお客様とは
  互いの信義を以って結ばれて行くのだと思います。

    2010/11/18  鶴川記

 

 
 


 1 章 :  この道が好き
     7 : 思い入れが追いぬけない
 


  我が家へ時々来る方は、よく 「芸術は哲学だ!」 といつも言います。

 美大時代に教授からいつも言われていたそうで、自分でもそう思うと言います。
 私はなんだろう。 やはり哲学かな???

 瀧泉寺に納置した「鶴川流花押の定義」にはそれが入っていない。
  内容は同じかもしれませんが、 近いものは入っています。

 時々手元にあるその定義を読み返し、書いてから10年以上になりますが
  自分の気持ちに変りがない事に気がつきます。

 変わるものと変わらないもの、花押については全くの独学でしたが
  独学故に人の何倍もの勉強時間を費やし、そのかけた時間の多さが
  身に付き、又独学故にこれから更に勉強をしなければならない。

  といっても、その過程では様々な沢山の方から教わり今日まで来て
  全てが私の師といっていいのでしょう。

 論語に 「徳不孤」  「我三人行」  「学不思罔」  とあるように
  ピラミッドのように私を支えてくれた方が山ほどいます。

  どれをとっても大切なものは 「気持ち」 だと思います。
 大切にしてる古い「篆刻台」と 「和」と彫刻された刻字、これは修行時代の師から
  いただいたものです。当時猛烈に勉強して3年半で独立し、10年以上たって
  お会いした時に「いつのまにか俺よりうまくなったなぁ」と言われました。
  最大の賛辞に思えますが、それから20年以上経ち、私にはますます
  知れば知るほど師との差が開いていくのがわかります。

  あの時の師より年が上になってもです。
  師は10年前に他界し、これで一生追いつかなくなってしまいました。 
  結局のところ書に関しても篆刻に関しても何もかもが追いつくことが
 出来ないままです。

  そのお陰で一生、一歩でも近づくために
  勉強をすることになりました。

 一度でも師と呼んだ人を抜くことは不可能で、いつでも沢山の師をもって
  とても恵まれた環境にいるんだなぁと思っています。

    2010/11/08  鶴川記

 

 
 


 1 章 :  この道が好き
     6 :見抜く力、見抜かれる力
 


  書道展で評論家の方が望月さんの書いたものは

 「この作品のベースには2つの古典が入っていません?
  ひとつは王鐸、あとひとつは懐素では」

 その通りで王鐸の線の繋ぎ方、懐素の崩し方ですぐに見抜かれました。
  ただあとひとつ、黄山谷の線の抑揚には気がつきませんでした。

 気ままに書くだけなら簡単で練習も勉強も必要ありません。
  でもそれでは見抜かれます。

 【見抜くほどに力を付け、見抜かれるほどに身に付ける】
  ことが大事です。
  
  これは昨日親しくしてるプロディユーサーの方とお話をしたとき
  同じようなことが話題になり、その方が言っていました。

  数%の一流と言える人は見えない力を持っている。
  それは日ごろの血の滲むような鍛錬で身についたもの、
  言葉や形でないもので無意識の中に出てくる意識だと。

   ☆      ☆

 同じようなことが花押講座でもありました。
  受講生といっても書道教師の方で私の作品を手本にして書いてきました。
  まったく直すところはなく、線質、線の錬度、形の感覚、強弱、そして
  作品としての形態、完成度といい申し分ありませんでした。

  しかし何かが足りない、技術を超えた何かが、書いた本人も
  さすがに何十年と指導してるだけにそこに気がついている。

  私は「情念が少し足らないように感じます」といいました。
  後日考えても、その表現が正しいかどうかは別にして他に相応しい表現は見つかりません。

  その方もきっと私が感じたことと同じことに気が付いていたと思います。
  ただ相応しい言葉が見つからなかっただけで。

  その方が今までどんな勉強をしてきたか、どれほど苦労してきたか
  私には書いた作品の中から想像が付き、汲み取ることが出来ます。

    2010/10/20  鶴川記

 

 
 

 

 1 章 :  この道が好き
     5 : 果てしなき道程
 

  確かに一生勉強というのは皆が言う言葉。

 今年ノーベル科学賞を受賞した根岸英一氏は受賞インタビューで
  「基礎的な能力を持ち、正しく夢を持って50年追い続ければ
  夢が実現する可能性が高い」と強調していました。

 さらに「自分の任務は半分達成したところ」
  これこそ早乙女氏がいうことの一生勉強です。

 根岸氏は私より一回りも年上で、それでもまだ半分達成といっています。
  別な記事には120才まで生きて勉強と・・・、干支からいくと人の一生は還暦が折り返し年齢で
  120年といいます。 それをわかって言っているのだろう。

  10年、20年やって出来たと思っても上辺だけの形がわかった程度。
  「絵に描いた綺麗な餅」だと思っています。

  先日筆耕分野の達人とお会いしたときも、50年やって奥義を窮め、さらに
  未踏の分野の研究をしています。神業といえます。

  早乙女氏との話の続きがこのノーベル化学賞の根岸氏の中にありました。
  果てしなく道程は歩くごとに広がっていきます。
  今、確かにその広がりを見つけることが出来、歩み始めているのも事実です。

   2010/10/09  鶴川記

 

 
 

 

 1 章 :  この道が好き
     4 : 一生勉強というけれど
 

 その早乙女氏が言いました。
  「みんな誰でも一生勉強というけれど、ほんとにわかっているのだろうか」

  私も 「やればやるほど難しくなって、余計大変になりますね。
 写経も 「般若心経・大聖武・自愛経・他いくつもやって
 書いた枚数は数え切れないけど、益々難しさがわかるだけで
  なんだこれ? っと自分で書いたの見て思います 」
  早乙女氏「それがわからなくてただ勉強といってるけど、そこまでやって
  初めて言えることですよね 」

  書も花押も少しづつですが理解できるようになり、最近は
  20代、30代の時より中身も時間も多くなりました。

  書の練習量も目安にしてる1ヶ月1万文字は当然になり最近は
  足りないかなぁと思っています 。
  花押の勉強も今までの倍以上になり、どうにか花押をやっていますと
  人に話せる位になりました。

 それでもまだ花押に関しては足りない部分がいっぱい。
  やっと入り口に立てたかなと思います。
  目の前には未知な部分が山と見えて、これからこつこつ一歩づつ歩んで行きます。

  見えてる山だけでも10年はかかりそうです。
  たくさんの資料を前に胸は膨らみます。
  それを超えたらもっと大きな未知の山が見えると思います。
 
  「一生勉強」 と胸を張って言えるような人になりたい。
 まぁ、そうは言いながら結構いいかげんに気楽に楽しんではいるのも事実ですが。・・・



   2010/09/26  鶴川記

 

 
 

 

 1 章 :  この道が好き
     3 : 名人のたたずまい
 

 天麩羅の「みかわ」で食事をしたとき
  すきやばし次郎さんとともに名人といわれている早乙女哲哉氏のたたずまいに注目しました。

 張り詰めた空間、なんともいえない歌舞伎の舞台に立っているような雰囲気。
 その居所、視線、手捌き、惚れ惚れするような仕草は
  揚がったてんぷらが目の前に出てくる前に圧倒されます。

 それなのに威圧感はなく、良いタイミングで塩や天つゆが出てきます。
 お茶会で見るような一幅の絵のようです。

  後日、出来上がった花押を届けにいき、お話しそのことをお話したら
  その立ち居地、視線、タイミングはもっとも大切にしているところといわれました。

 その姿勢はやわらかく直立で、その理由をお聞きしたら、
  私が筆を持つときと全く同じ理由でした。
 

  そして花押の説明で、小さな点の解説をした時、早乙女さんは
  「話を折って悪いが、ちょっと待ってください、これを見てください」
  と言って 棚の中から表装したばかりのご自分で書かれた書を見せてくれました。

 そこには私が解説したことと全く同じことが書いてありました。
  「この点の重みがわかる人は滅多にいない。私が一番大事にしてる事です」
  その表装した作品は近々ある場所に飾られることになっているようです。
 
  「これはやってきた人ではないと理解できないね。」
  花押を見て、その作り方、書き方を一瞬で把握していました。
  ひとつの点を見て、この深さは計り知れないね、・・・と
  まさかのまさかで同じ事を何より大切に考えていたのです。

  線の流れ、抑揚、その意味、その私の描いた花押の舞台を見事に
  理解して、早速流暢に書きました。

 『この線は「漢字」ではなく「仮名」の線だね!』

 線質までも私の考えをものの見事に見抜きました。

  私の花押をここまで一瞬にして、それも奥に秘めたものまで見抜く力、
  これはもう、脱帽というしかありません。
  私が描いた花押の舞台は早乙女氏が大切に描いている舞台と全く同じでした。

  いろいろなお話が次から次へと出て、あとで
  「あぁ、テープに録音しておけば良かった」と思う価値のあるお話ばかりでしたが
  その真剣な眼差しと言葉の一つ一つはテープにとる以上に私の心を躍動させました。
 
  書も絵も達筆、 二人だけでしか分かり合えないことが多くありました。

早乙女氏直筆のメニュー
 

 

   2010/09/26  鶴川記

 

 
 

 



 1 章 :  この道が好き
    2 : 「知創」は広がる
 

  花押は一般的には「花のような署名」と解釈されています。
  それはそれで良いのですが、私が考える花押はプラスαがあります。

 そこには人の歴史を見過ごして語ることは出来ません。
  1000年も前から使われた花押の持つ重さは4000年前からの
  歴史を引き継いでいます。

 「温故知新」という言葉がありますが、私に言わせれば
  「温故知創」で人が命を懸けて創ってきたものを更に
  未来へと繋いで行かなければならず、この「温故」と「知創」がなければ
  「花押」と呼ぶには物足りない気がします。

 
  点ではなく点を繋ぐ線でなければなりません。
  その線上には支えるものが必要で、それは歴史であり書であり
  生き様であってそれが私の作る「花押」です。
 
 
  価値観が多様な現代では線を支えるものも線も無く
  形だけの点だけで「花押」と
  いう見方もありますが、否定も肯定もしません。

  目指すものの相違なんでしょう。  

 花押は「線状の美」であり「線上の物語」で線とは
  人生の檜舞台、壇上で、そこで舞うのが私の目指す「花押」です。
  そこには美があり、品格があり、見得があり、爪の先にまで
  神経が行き届いた血の通った生きた証です。

 道は遠い、遠いほど、その果てしなさに遣り甲斐、
  生き甲斐を感じています。
 そうなると果てしなく名人への道は遠くなってしまいそうです。
 
  書道の村上三島先生は90歳を超え、それでも新作を発表し続けていました。
  「知創」は限りなく広がっていくようです。

   2010/09/06  鶴川記

 

 
 



 1 章 :  この道が好き
    1 : 鶴川流花押
 

  自分に合っているだろうか、もっと他に進む道はあるのだろうか?
  私の場合は印鑑から、この道に入り並行して篆刻、デザインを手がけながら花押も
  誰にも頼ることなく本を読んだり、創ったり、いつの間にか文字全般になり
  今は花押が主になっています。

  花押が主になったのは13年前ですが、その10年前から下準備をしていました。
  花押を主にしたのにはそれなりの理由がありますが、その理由については
  次の機会に譲りたいと思います。

 「鶴川流花押」と命名とはおこがましいのだが、花押だけでは物足りない。

  今まで何度聞かれた事か、「鶴川流花押とは?・・・その定義とは?」
  返す言葉は一つ


  「私が作るから鶴川流花押なのです!」 これで充分。

 定義がないわけではなく2009年、埼玉県日高市にある「瀧泉寺」に納置した
  木簡50枚に定義を書きました。
  数百年後に 開帳されます。十三重宝塔の中に金色の如来様とともに眠っています。

  花押とは全く不思議なもので1000年も前から続く署名であり、
  歴代の総理が使い、多くの芸術や古典芸能に関わる人たちが使う
  誇れる署名なのです。

 
  親から貰った大切な名前に更に未来をかけて夢を乗せて創るのが花押。
  花押を持つ事、こんなに親孝行な事はないと思う。
  その花押を創るのだから責任重大、親と同じ気持ちになります。

  そういう仕事に巡り逢えた事は幸せなことです。

  花押名人を目指して、まあ、どこが名人の境目だかわからないけど
  そのくらいの気概を持たないとプロとして前には進めない。
  無いものを在るものに創り上げる、こんなに面白いことは無いだろう。

  名人を目指すのは私自身であって、商売は商売として、
  花押を文化として、日本の誇る漢字文化として、芸術として
  より高いところを目指しています。

   2010/09/01  鶴川記

 
 



   前口上 「街角名人」


  どこの世界にも名人と呼ばれる人はいます。
そんな人に成れるのだろうか、 成れるとしたらその方法は?

パソコンはどんなに優れていても名人とは呼ばれない。人ではないから。
人間だけに許された究極の言葉「名人」。

孔子の中では「聖人」が最高の優れた人をさすが、そこまで行かなくても
「街角名人」になって自分に自信を持って生きたい。

少し自信を持って、少し力をつけて、少し人に誇れて、少し照れながらも自慢したい。
生き方もそんなふうに自信を持って、自分に誇れるような生き方をしたいよね。

まずは「街角名人」目指してそして次に夢は大きく「名人」めざして。
それも黙っていても人が陰で「あの人、名人なんだって」と ・・・

 

2010/08/25  鶴川記