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自画像・・・大地を踏みしめて
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015  自画像・・・大地を踏みしめて
2008/10/12


メルマガ「たまゆら通信」のトップに掲載してる「花押は自画像」

この自画像について、お世話になっているH・Kさん、H・Tさんと3人で
日本橋「三越」で「田村能里子展」を見に行き、帰りに 食事をしました。
その時H・Tさんから「自画像」について書いた「千代田フォーっラム」の本を頂だきました。
藝大での卒業作品に書く自画像の事を数ページにわたりかかれています。

食事の席で、自画像について家族の素晴らしさについてのお話をお聞きしました。
描かれた絵の写真を何枚も拝見し、その絵の素晴らしさ、それ奥底から感じる輝きのような
ものでした。

人から発するもの自分が発するもの、それはやはり「思い」・「魂」だと思いました。
素晴らしいお話をお聞きし、素晴らしい大地を踏みしめた人生。
「絵」と「花押」、表現する方法は異なっても、その意志とする「自画像」そして「鑑」と全く同じです。

東京藝術大学創立120周年記念行事の一環として開催された「自画像の証言」に
行かれたときのことを書き綴っています。

藤田嗣次画伯の1910年、1929年の自画像を文集には掲載されていました。


-----------「自画像考」 (千代田フォーラム)より抜粋--------------

自画像を書くことは写真や鏡の中の自分と向き合い、自分とは何かを問いかけ、一筆毎に、
己を見つめ己を確かめる事である。自分の顔に何か(Something)が顕れており、それを掬って自分探しの
凝縮された結果としての記録体をあらわすことである。

〜前略〜

自分らしさとは何だ。在るがままの自分ではなく、眼に映る自分だけを描くのではなく、あるべき自分、
ありたい自分を・・・
ただ似ていれば良いのではない。もっと威厳に満ちた自分になりたい。それを描きたい。

西洋人はスネッサンス以降自画像をよく描いている。西洋では絶対神と己との対峙があって、
罪の意識との 葛藤、内なる自己を考えることで個人の誕生があると言われている。

個性が重視され、感性が開放されたルネッサンスから自画像を描く伝統が出来上がった。
中でもゴッホとゴーギャンのそれが有名である。
しかし、日本には明治まで「肖像画」と言うものはあっても「自画像」というジャンルはなかった。
日本人には個がなく相対的に世間が先にあり、それに添い埋もれることが人生の原点であった。

世間から外れることはすなわち“恥”。強い自意識を持って生きてこなかった日本人は、ほとんど
自画像を描かなかった。自己を表わし描くという習慣が育たなかったのである。

〜中略〜

自分と向き合い、自分はなんだったのかを問いかけ、一筆毎に己を確かめ、己を見つめ直して
、己が顔面のそこ此処に刻み込まれた60年の軌跡をたどりながら“己が生き様”を自画像として
書き上げてみたい。そこにわが人生のSomething moreがあるのではなかろうか。
裸の自画像は無理としても・・Never to late!

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一部のみですが抜粋して掲載させていただきました。
自分に再びその感動を思い起こして言い聞かせる意味も含めて。
H/Tさんに感謝を込めて。



記  望月鶴川