◆ 鶴川流花押は伝統花押文化の研究と創作販売に力を注ぎ伝統の継承に努めています。
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007 家康花押の謎

2008/1/07


家康花押の謎

1542年徳川家岡崎城主松平広忠の 嫡男として 誕生する。(幼名竹千代)
6歳の時に今川家に人質として送られる途中、三河渥美郡、戸田康光に奪われ、
織田信秀の元に送られる。

2年後松平弘広忠は暗殺され、今川が岡崎城を占領、竹千代は今川の人質として駿府に移る。
1555年13歳、元服し元信と名乗り、後に元康と改名をする。
1560年18歳の時に織田信長により桶狭間の戦いで今川義元が破れ家康(元康)は岡崎城に入城。
1563年20歳、家康と改名する。
花押を持つのは元服した時とされているので、13歳から花押を持ち家康と改名するまでの7年間。
今川家に人質として過ごした5年間。特に元服をはさんだ5年間に意味があります。

下記の家康の 花押「No1」は明らかに元康の文字を使用しています。


「NO2」は今川義元の花押をそのまま引き継いでいます。(類似)

平安・鎌倉の花押は上下関係を重視した追従型が多かったのに対して戦国時代に入り、
自分の意思や 力を示す指向型が多く出るようになりました。


家康の立場や性格を考えると「No2」の義元に類似した花押を使う事は充分考えられる事です。
「NO、3」の花押は家康になってからのものですが、2の花押と共通する部分、反した部分があります。
義元からの脱却、義元への愛着の2つの心が鮮明に現われています。




記  望月鶴川